四月に日刊紙「新いばらき」を廃刊して倒産した新いばらきタイムス社(水戸市)の労働組合を支援する「新いばらき労組支援共闘会議」の発足式が三十一日、水戸市民会館であった。
同会議は日本新聞労連の主催で、新いばらき労組に在籍する組合員二十四人の未払い賃金や退職金など計約九千万円の確保と再就職支援が目的。事務局は同市南町の組合内に置かれる。
決意表明で、事務局長に選ばれた同労組の道上拓執行委員長は「倒産のきっかけは常陽銀行が社員の生活より債権回収を優先させたこと。普通の生活さえ許さない地方銀行があっていいのか」と常陽銀行の責任を追及する姿勢を明確にした。東京新聞 2003/6/1
茨城新聞 2003年4月18日付 ◆「新いばらき」 廃刊負債13億円 近く破産申請へ 県内で日刊紙「新いばらき」を発行している新いばらきタイムス社(本社水戸市南町、福田聖一社長)は十七日、経営難で新聞発行が困難になったとして、十八日付の紙面を最後に同紙を廃刊すると発表した。同社は十八日付紙面に「おわびと廃刊のお知らせ」を掲載し、近く水戸地裁に自己破産を申請する。負債額は約十三億円。 会見した福田社長は、「地元とともに歩んできたが、こういう結果になり読者に申し訳ない」と話した。 同紙は一九五二年四月に不定期刊の「いばらきタイムス」として創刊。同年九月に題字を「新いばらきタイムス」に改め、タブロイド判から大判の新聞として旬刊で発行を始めた。 その後、週刊から日刊となり現在に至っている。 紙面構成は通常六nで、県内の政治行政、地域の話題を盛り込んだ紙面づくりをしてきた。昨年四月には創刊五十周年を迎えた。公称六万二千部。 しかし、発行部数の低迷に加え、長引く不況で広告収入がピーク時の半分以下に激減。ここ数年は経営難から給与も遅配が続いていた。従業員四十人中、正社員十五人に約二千五百万円の未払い賃金がある。 再建展望見いだせず 競争激化、広告減響く 県内を地盤とする日刊紙「新いばらき」が経営難から、約五十年の歴史に幕を閉じることになった。記者会見で新いばらきタイムス社の福田聖一社長は「創刊時は資本家でなく、労働者が集まってつくった新聞社だった。昨年五十周年を迎えたが、読者の皆さんには申し訳ない思いでいっぱい。(新聞づくりに携わった)先輩方にも申し訳ないとじくじたる思い」としみじみと語った。 戦後の復興期に、平和や民主主義、言論の自由への期待から全国的に新聞の発刊ブームがあり、同社もその一つだった。だが、ここ数年は栃木県の地方紙「栃木新聞」が一九九四年に、北海道の「北海タイムス」が九八年に廃刊するなど、販売競争の激化や長引く不況による広告収入の減少などで地方紙の経営環境は厳しさを増していた。 新いばらきタイムス社も、ピーク時の一九九三年三月期には売上高が約八億五千万円に達していたが、二〇〇二年三月期には約三億五千万円にまで落ち込んでいた。十年ほど前から慢性的な赤字状態だった。同社では金融機関に対し再建計画を示していたが、結果的に認められなかったという。 従業員への未払い賃金は膨らむ一方で、労働組合と賃金支払いの交渉の中で「五月末での廃刊を決断した」(福田社長)。しかし、十七日の団体交渉で経営再建への展望が見いだせず、会社は廃刊を急きょ決めた。 最後の新聞を発行するのが決定したのは同日午後四時ごろ。福田社長は「読者へのおわびを入れて新聞を配るのが最後の務め」と話した。 「こんな日が来るとは…」労組委員長 「まさかこんな日が来るとは…」。新いばらき労働組合の道上拓委員長は疲れた表情で話した。会社側の説明に続き、従業員側の代表として会見。「新聞の発行を続けようという意見も出たが、けじめをつけなければならない」と述べ、廃刊という苦渋の決断に悔しさを見せた。 道上委員長は従業員の今後について「会社側に再就職のあっせんを求めると同時に、組合で(再就職支援の)態勢を取っていく」と話した。 同労組の上部団体、新聞労連関東地連の和田吉浩委員長は「ギリギリの生活に追い込まれても従業員は頑張ってきた。限界だ」と無念の表情を浮かべた。 茨城新聞 http//www.ibaraki-np.co.jp/index.htm |